うつつ

(特殊な設定の話なのでご注意を。突然殺して突然生きてる。突然いちゃついて突然ギスる。愛情Aエンド後が主時間軸ですが、殺害の文章量が多い。ループというかタイムリープというかパラレルワールドというか、なんかそんな感じの)




嫌な夢だった。

ありえない展開だった。あんな彼女は見たことがない。というか、もしかして別人だったんじゃないかとさえ思う。
だって、彼女はあんなに冷たい目をしない。もっと柔らかく花のように笑う。他者を蔑んで、人を傷つけるような真似はしない。彼女は、彼女……いや、夢の中ではまだ、彼だった。未分化の子供だった時期だなんて、もう二年も前の話だ。

今はすっかり背も髪も伸びて、顔つきも大人になっている。……なっているっていうのもおかしな話だな。いつもこうじゃないか。昨日も今朝も、いま隣にいるレハトも、変わらない。昔からずっと綺麗だ。

シーツに広がる乱れた髪に指を通して軽く梳いた。
やわらかな質感のこれが好きだ。俺を呼ぶ声が好きだ。見つめあってくれる目が好きだ。触れる指が好きだ。
守らせてくれるところも、気遣ってくれるところも、笑ってくれるところも、全部。
こうして穏やかに眠る横顔に愛おしさしか湧かない。日々増していく気さえする。好きだ。ためらいなく言えるようになったのはいつからだっただろう。
少し汗ばんだ肌にそっと唇を寄せて、目を閉じた。



また、だ。
しかも今回はかなり鮮明に。はっきりしている。何が起きたか、何を起こしたか。

おやすみなさいと告げたレハトを後ろから抱きしめた。薄いなめらかな材質の寝間着が、彼女の体温に馴染んで温かい。
支えるように腰に手を回して、もう片方で肩に触れた。夢で見た傷の痕が、どこにどのくらいの太さでどんなかたちで、そこにあったか、いま目に見えてるみたいにわかる。
そうっと指の腹でなぞる。
白い肌の肩甲骨の少し上から体の曲線に従って表側へ。
大きな血管をぎりぎり避けるように、首の付け根の際を通る。レハトの脈拍を表皮越しに感じる。少し早い、かも。
浮き出た鎖骨を超えて、この辺りが一番深く刃が入っていたなと思った。明確に、肉を斬ったという感覚だったのをおぼえている。そこから切れ込みはだんだん細くなって、柔らかい胸の途中まで。まっすぐな刃物が埋まった痕。

目に見えない傷痕をなぞり終えた。何もない。なんでもなかった。

堪えきれない、といった様子のかわいらしいレハトの笑い声が耳に届く。
くすぐったいよ、とくすくす、可笑しそうに身を捩らせて、俺の腕の中から逃げ出す。
そこで初めて、ずっと黙ったままべたべたレハトの身体を触っていたことに気付いた。おやすみの挨拶に一言の返事もしないままで。これじゃあまるで……。

どうしたの、と向けられたまなざしは蠱惑的で、甘くとろけて俺に届く。誘われるままに、欲のままに、緩やかに彼女を寝台へ押し倒した。

見下ろす俺の影になって、背中を地につけるレハト。頭の後ろに当たる日差しが暑い。
ああ、やったぞと。ついにこの子供に絶望を押し付けてやったぞと。快感だった。大量の脳内麻薬が放出されている。

良いと思う。その顔が。いつもなら、誰にもその中身を捕えられないように美しく整えた肌が青ざめて、白目部分が増えて、息を飲んだかたちの口のまま動けなくなった顔が。
柄を握ることができなくなった細腕が固い地面に投げ出されていた。土に混じって、ほとんど黒色の液体が少しずつ少しずつ広がっていく。

夢に映ったその光景は、恐ろしいほど現実に見えた。
でも見えただけだ。
夢だ。目をいくら凝らしてもそこに傷はない。レハトを手にかけた事実もない。

覚えているの?

ぞっとした。
彼女の囁きに、肌が一気に粟立つ。
瞬間的に夢の中の子供と自分を重ねた。あの彼も今の俺も、今までに味わったことのない、知りたくもない大きな恐怖に局面したに違いなかった。
喉の奥が締め付けられたようにうまく声が出ない。

なにを。

なんとかようやく絞り出せた返答に使う助詞を間違えた。

傷をなでるから。

二人とも言葉が抜け落ちすぎていて、質疑応答のやり取りの形になっていない。
どうして傷のことなんて?彼女は俺の見た夢を知っている?この夢は夢ではなくて?
くらくらする。

暑いからだ。嫌になるくらいの快晴だったから眩暈がする。
乾いた土ぼこりが舞っているのに空気を吸ったから、奥歯でざりと砂を噛んでしまった。僅かな鉄の匂いが鼻を掠める。
とても静かだった。本当は騒がしかったのもかしれないけど、体感的には。
ああでも、やっぱり騒がしかったんだろう。もっと静かな場所にいたことがあったから。

暗闇の中でレハトの額が薄ぼんやりと主張しているのが見えた。弱い角灯の明かりでは、格子越しの人物がはっきりとは確認できない。護衛についた衛士たちの顔がわからないのも幸いだったと思う。
暗いのと冷たいのが合わさると、とても静かに感じることを俺は知った。
そのとき俺は、レハトになんと言ったんだっけ。それに対するレハトの返事は。

こっちは痛む? 私はもう痛くはないんだけど。私は二つ前で、グレオニーは一つ前だから。

しっとりとした手のひらが俺の腕をなでる。丸く綺麗に整えられた爪が何の変哲もない腕のどこかをひっかいたとき、思わず声が出た。俺のわかりやすい反応に気を良くしたらしいレハトが、とびきりの笑顔で俺にのしかかる。よく知っている重みだ。
ひっかかれた腕にあまりに優しく口づけを落とされて、脳味噌の芯まで痺れる。
快感なのか苦痛なのかわからない。すごく甘い味がするんだろうなと思うし、はやく振りほどきたいとも思う。

痛い?と何度も俺に聞いては、右腕の同じところを舐める。レハトの言っていることはさっぱりわからなかったけど、たぶんきっとそれも夢の話なんだろうなと思う。
なんだか……だんだん気持ちいいだけになってきた。

物足りなくて彼女を抱き寄せる。もっと違うところがいい。
真剣に囁いてみたのに、レハトは面白がって笑う。そんなに色気ないか、俺。それでも望んだ柔らかさはすぐに与えられた。

唇を軽く吸うだけで早々に離れてしまおうとする頬を引き戻した。手に馴染んで桃色で熱くて、いい。離して角度を変える合間に、好きだ、好きだよと確認の声掛け。好きだ。
綺麗に揃った歯列を舌でなぞれば、びくりと跳ねる背中がたまらなく愛おしい。全部気持ちいい。
隙間からねじ込んで粘膜を絡ませる。一人分の口内に、きゅうきゅうに二人分の赤い塊が、ひっきりなしに動いているもんだからとても狭い。生きていると思った。
そのうちに勝手に溜まる唾液を吸い出して飲み込む。少し取りこぼして顎に伝った。
明日の仕事は別に早くない。




妙な夢だった。

いやなんとなく良い場面もあった気がする。いい匂いのする夢を見た気がする。
見たものを思い出そうとして、順序立てようとして、ますますわからなくなる。ごちゃごちゃしていて今ひとつ要領を得ない。
うーん、夢とは得てしてそういうものだ。

夢の中に誰か小さい子供がいたような。
まだ未分化なのに王城にいて、礼法から武術まで、毎日訓練ばかりしている子だった。しているというか、しなくちゃいけない。でもヴァイル様じゃない。どこかの貴族のご子息だったのだろうか?
いや、所詮夢なんだけど。
辻褄が合わないほうが当然だ。

そう、丁度あれくらいの子だった。初々しい、そんな言葉が似合う。
声を掛けたのはなんとなく気になって。

少し話をして、仲良くなれたらいいなと思って。
途中で呼ばれてしまったから、想定よりもずっと早く会話は中断することになった。そしたら彼は、またねと笑う。あ、かわいいなと思った。

また会えるとばかり思いこんだ俺が、彼が新たに見つけられた寵愛者だと知ったのは、その二日後のこと。
それからそのまま、彼の「またね」が果たされることは一度もなかった。