平行直線
候補者とは言え欲していない地位に就くこともなく、リタントが新王を迎えてから丸々一年が経った。
僕は城に訪れる貴族へにこにこ振る舞う役に従事し、行き帰りの護衛には親友であるグレオニーが付いている。
あの雨の日の精一杯の想いは、僕の中ではなかったこととし、もちろんグレオニーの中でもなかったことにでもなっているだろう。
王城生活は、平凡な日々になることができたのだ。僕の感情は除いて。

「レハト様は本当にお美しくなられましたね」

後ろから投げかけられる声に振り向いてやれば、こちらに向かって柔らかく微笑まれた。
意識していないのだろう、そんな顔も。

大人になれば、勝手に諦められるものだと思っていた。
この城で縋るものがなく小さな子供だった僕が、憧憬やら信頼やらを混ぜ込んだ感情を勘違いしたのだと。
成人したあとは相応の人でも好いて、少しばかりの苦さを含んだ笑い話として、僕の中にしまっておく予定だった。
現実そうはなってない。

突然どうしたと問えば、「髪を見ていまして」と返される。
動き回る仕事でもなし、人に会うのにも式典に出るのにも飾りやすいよう、子供のときよりずっと伸ばしていた。もともと伸ばしているのは嫌いじゃないし、グレオニーから褒められては悪い気なんてするわけもなく。

グレオニーがこちらへ歩み寄って僕の肩口に乗った髪を少し持ち上げた。
その手を離せば、するすると無抵抗に元の位置に戻る。

「俺は伸ばしても、こんなにきれいにならないでしょうね」

何の考えもなさそうにグレオニーは言う。
先ほどと同じように肩へと乗った毛先から視点を上げると、グレオニーも同じような動きをしたようで暗めの赤色と合う。

気恥ずかしくてほんの少しだけ逸らした。グレオニーは相変わらずゆるやかに口角を上げていた。
もうすっかり護衛として板についたというか、余裕が持てるようになったというか。こちらの心中との相反っぷりに、じわじわ顔に血が集まってくる。
慌ててグレオニーに背を向けると、僕はほとんど走るような速さで進み出した。

「え、どうし……レハト様?」

グレオニーの疑問の声を背中に聞く。
急に飛び出した僕の背後に駆け足が追い付いてくる。
やや急ぎ足の僕と揃ってから、次の会合に遅れてしまうからと告げた。

「え、ああ、そうだったか? ……あ。じゃあ、急ぎましょうか」

一瞬間があった。
それでもすぐに切り替えるあたり、やはりグレオニーは護衛として僕の後ろにいるのだ。
この距離は縮まりようもない。

冷静に戻ることができたら、顔の赤みも早々に引いてゆく。
まだまだ精神的に子供のままの自分にため息が出るようだ。
たまにこうして自分の感情を思い出して、結局後悔をするだけに終わるのだ。

当然のことながら広間には予定よりずっと早く着いた。



本日分の仕事を終えて自室の前まで送られる。
では明日もよろしくと頼もうとしたところを、グレオニーに遮られた。

グレオニーはきょろきょろと周囲を確認してから「ちょっとお部屋、宜しいですか?」と尋ねた。
別段断る理由も見当たらず、僕は首を縦に振った。
グレオニーを部屋に招き入れるのは随分久しぶりだ。

椅子に腰掛けた僕らの前にお茶が置かれる。

部屋付きの彼が部屋の隅に控えると、こちらに向かい合うグレオニーは自分の口を指さして、音には出さず「しゃべりかた」と言った。
嬉しい提案に侍従の彼には下がってもらう。
閉じられた扉を見やり「もういいよな?」と小声で言うグレオニーに、僕は頷きを返した。

「よし。じゃあ、レハト。……言ったほうが楽になるぞ」

僕は、おそらくきょとんとした表情で固まっている。
なにを言えと言うのか、思い当たる節がない。

「なにか悩んでるんだろ。昼過ぎくらいからか? お前、どこ行ってもずっと渋い顔してるから。溜めこんでもよくないし、聞くぞ?」

グレオニーの物の言い様に、目をしばたく。
まさか、僕が渋い顔をしているわけがない。そんなの職務怠慢にあたる。
悩んでいるわけはない。昼のことを引きずっているわけもない。
もし仮にそうだとしても、このグレオニーが、僕の感情の機微に気づくなんてとても考えられない。

無言を押し通せば「仕事のことか?」と来て、僕は左右に首を振る。
……しまった。その通りだから門外漢のグレオニーに相談しても意味がない、と誤魔化してしまえばよかった。
そうだろうと言わんばかりのグレオニーの視線がこちらに向けられる。話題を切り替える機会を逃した。

「別に意固地になる必要はないだろ」

だんまりを決め込んだ僕に、グレオニーのほうが呆れだす。言えると思っているのか。

僕はグレオニーを睨みつけながら、主人が口を閉ざしていることを無理に聞き出すのが側付きの役割だと思っているのか馬鹿、と言葉を叩きつけた。
それにはグレオニーも流石に怯んだようだ。
目を見開いたあと、取り戻すように眉を寄せた。

「馬鹿ってレハト……。それは、そう言われたら違うけどな。……わかりました。これ以上はお聞きいたしません」

そう言ってグレオニーは椅子には座ったままぴんと背筋を伸ばす。

敬語に戻られてしまった。そうさせたのは僕自身だが。
卓に乗ったお茶を飲もうとして、上手く持ち上げられなかった。がちゃがちゃと陶器の擦れる音がする。
距離を置きたいわけじゃない。この感情を露呈させても、楽しい結末は見えてこないのだから、これはそうだ、仕様のないことだとも。
僕は自分にそう言い聞かせなくてはいけない。

しかし、気まずい空気に耐えられるほど、僕は強くなれない。言い聞かせが効かない。

手元のカップの覗き込みながら、主人がどうにも思いつめてるのにただ放っておくのが側付きの役割だと思っているのか馬鹿、と言った。
少し声が震えたかもしれない。
視界の端で、グレオニーの真っ直ぐに引かれた口が、小さなため息と一緒に緩む。

「いつからそんなに素直じゃなくなったんだ」

昔からだ。素直に言えていたらこうなっていない。

グレオニーは立ち上がって、僕の隣へ腰かけた。それから自分の腕を、僕の背中から肩へ包むように回す。そのままグレオニーのほうへ強めに引き寄せられた。
僕の左肩とグレオニーの右肩がぶつかった。少し痛い。

「言う気には、なってないんだろ。無理に聞こうとしたのは悪かった。でもな、俺はここに居るから。もっと頼ってくれても大丈夫。ちゃんとお前の支えで居るから」

手のひらも、背中に回った腕も温かくて、僕は自分の表情を見られないように顔を伏せた。
それをどう受け止めたのか、グレオニーは駄目押しにぽんぽんと優しく僕の肩を叩く。
こんなに近いのにこんなに遠いなんて。
果たして僕は、いつかちゃんと、友達として肩を寄せることができるのだろうか。