雨を乞うては誰が為
週に二日のせっかくの休日だったというのに、レハトは沈んだ顔で自室の扉を開けた。
サニャは既に部屋の中の掃除を終え、いつものように機嫌良くこの部屋へと戻ってくる彼を待っているところだったので当然ながら気懸りに思った。

うなだれた主人が脱いだ上着を受け取って一体どうしたのかと尋ねる。
レハトはなんでもないと首を振り、とぼとぼ寝室へと足を運ぶ。
もう夕食の頃合いだったが、どうやら今はそんな気分ではないらしい。もしかしたら摂らないかもしれない。

「何か要りようの物がございましたら、すぐにお呼びくださいませね」

そうは言ったものの、レハトが自分からは特に何も言い出してこないだろうとサニャは思っていた。
いつもの彼ならはっきりと自分の意思を示すのに、さっきのレハトは濁した返事をしていた。
許容を求めてくることも、明確な拒否をするような真似もしなかった。寝台に伏したまま、結わいた髪を解くそぶりも見せない。放っておいて欲しいとも言わないくらいに、疲れているのだろうか。
少しだけ待ってみた。敷布に押し付けられている口が、わかったと了解の旨を告げる。しかし、まるで気のないその声色に、サニャは眉を寄せたままでいた。

今日のように酷く落ち込んでいるのは彼にしては珍しい話だ。
何事にも後向きにならないのが彼らしいところであって、サニャは仕える身としても、一人の人間としてもその点を好ましく思っていた。
だから余計に心配をしていた。何も話してくれないことも少しもどかしく思えた。

サニャが寝室と居室をつなぐ扉を閉めて戻ろうとすると、寝転がるレハトが思いついたように小さく声をあげた。
振り向いてみると、レハトは相変わらず憂鬱げな表情をしていた。

「サニャは手先が器用だったよね?」

サニャは手仕事を得意としていた。レハトにも刺繍を施した肩掛けを贈ったことがある。
最近の彼はもうすっかり、サニャのつくったような品以上の装いも似合う人間になった。

頷きを返せば、レハトは少し思案顔をして寝返りを打った。
天井を見上げていくらか考えて、結果、レハトはサニャに頼みごとをした。

「人形をつくるのを、手伝って欲しいんだけど」

レハトは自分の侍従の表情を、横目でちらりと確認する。
さっきまで自分は、あんなに鬱々とした空気を纏っていたからだ。
それをまるでなかったことして、ままごと遊びでも始めるとでもいうのかなんて、呆れられやしないかと心配した。もしくはあの陰鬱さを人型に移して、誰ぞを呪ってやろうとか、恐ろしげな考えを抱いていると思われているんじゃないかと心配した。

落ち込んで見せるなんて、滅多にないことなのを自分でもわかっていた。さらに人形をつくりたいなんて、初めて言い出した。
不審に不審が重なって、サニャに怪しく思われてしまうのはどうにも嫌だ。

そもそもトッズがくれたのは、それ相応の何かだから効果があるのだろうが、自分で手作りしたもので効き目があるものか。
大事な日にはなんて言っていたのは確かだけど、果たして試合はどうだろう。
試合は雨天中止だったような気がする。そしたら元も子もない。

ぐるりともう一度考え直すと今度の思考は悪い結果に帰着して、レハトはさっき口走ったことを早くも後悔した。
何か別の返事をしようと考えたが上手く言葉は出てこない。
開けた口を閉めて唾を飲み込んだ。
調子が悪い、彼のせいだ、全く。こうやって感情を無意識に転がしていく当該の人物に、レハトは心のうちで腹を立てた。

これ以上サニャにも迷惑をかけないために、なんて返事をしたらいいのだろう。
レハトは彼女の顔を視界の端で、恐る恐る覗いた。

「勿論! お手伝いしますです、レハト様」

満面に笑みを乗せて返したサニャの答えは、レハトの複雑な心境を一気に晴れやかにした。
そうやって肯定してくれる彼女にいつも安心感を貰っていると、レハトは改めて感じた。やっぱり彼女は自分をいつも良く思ってくれて支えてくれるのだ。
それがわかったら随分気が楽になったし、このまま全部話してしまおうと思った。
サニャの賛同にレハトは調子づいて、早く作り始めたいとばかりに、鼻歌まじりに寝台から跳ね起きた。

みるみるいつもの機嫌に戻ってきた主人に、サニャはほっと胸をなでおろした。それと、自分を選んで頼ってくれることも、やっぱり嬉しかった。

「あ。でも、夕食はどうなさいますか?」

言われて意識すると、くるると腹の虫が鳴く。しかし天秤に掛ける間もなく、作業に取り掛かることがレハトの中では優先順位の一番だった。
お茶とお菓子を少しだけ、作りながらでも食べれそうなもの。
レハトが早口にそう言うと、サニャは「ローニカさんには頑張って秘密にしますね」と口元に指を立てて笑った。

魔術師に縋れないこの世では、祈るしか策はあるまい。

駄目だったらこの次に、なんて言えるほどの余裕もなし。
できることならなんでも試してしまわなくちゃ、過ぎてしまってからでは遅いとレハトは息巻いた。
徴を以って神に願おう。人形を窓辺に捧げて空に乞おう。
どうか、暗雲の下で勝利が一つ増えるように。