あとは、なんにもいらないみたい
「今日のレハトは、いつもに増して声を掛けられることが多かった気がするなあ」

部屋に戻って第一声、グレオニーは、長椅子に寝そべった私に向かって言う。
その顔が得意げで納得がいかない。

今日は合わせておかなければならない衣裳も、出席を求められている会合もないようにしていた。仕事をきちきちと詰め、ようやくつくった休暇だ。
明日以降はまた忙しくなってしまうし、普段通りにグレオニー以外の衛士も後ろに付くことになる。気を張りたくないから付き添いは一人がいいと、せっかくの二人だけの時間にしたのに。



「先日は楽しい夜宴でございましたね」

人の多い廊下の通りがかりに、年嵩の男の低い声に呼び止められる。
華々しい宴は私が参加したおかげとか、今度の開催のときも是非とか、つらつらお決まりの言葉が続く。
成人して職に就いてから、こうして捉まることが多くなった。私の予定はだいたい何かしらで埋まっているので、重要な取り決めでない限りは、すれ違いに偶然見つけた体で話しかけるほうがいいらしい。

ここで一人相手にしたのが悪かったのか、そもそもこの場所を通ってしまったからなのか。
急な誘いも、あんまりよく覚えていない顔も、断りにくい話も、次から次に続く。

「レハト様、お時間はありせんか? 今から広間でささやかな茶会を開こうって話になったんですよ。急なお話ですけれど、大した会でもありませんし、このままいかがですか? 僕も、レハト様に参加していただきたいと思っていまして」
「ああレハト様! 本日は実に良き日和ですね! 湖の眺めが素晴らしい場所を存じ上げておりますよ。せっかくの機会です、貴方と共に拝見致したい。どうです! そちらへ参りませんか?」
「これはレハト様、本日も麗しいお姿で。この前贈らせたものはご覧頂けたかな。勿論、私の正直な気持ちだよ。貴方の心が決まるまで、いつまでも待っているつもりだけれど……今はもう、少し、急ぎたいかもしれないね」

大半は、こうだ。つまり声を掛けてくるのは年の近い男性ばかり。
やんわりと断って、残念がる相手を気遣ってしおらしげな様子を装ってみせる。
笑顔は手馴れたものだ。ただ、多い。

天気が良いから、中庭を歩くとか屋上に出向くとかしたかったのに、とても叶いそうにない。
正直に休みだと答えても余計に邪魔されかねないので、その場を誤魔化して逃げるに限る。



また誰ぞに見つかるのも嫌で、仕方がないから自室に籠ろうと帰ってきたところで、この一言だ。この顔だ。

一護衛としては、主人が話し込んでいるときに口出ししないのは当然だとは思う。
でも、今日の私は休みなんだ。グレオニーを護衛に付けて休日を過ごしている、というよりか、グレオニーと歩き回りたいがために休みを取っているんだ。
もうちょっと私の脱出の手伝いをしてくれたってよかったんじゃないのか。

「え、いや、きちんと相手しとかないとレハトあとで困るかと思って。ええと、話中断させたほうがよかったか」

グレオニーは意外なところを突かれたみたいな、きょとんとした顔をする。悪気はないらしい。

話の中断のためだけに、何の脈絡もなく登場してもらっても、まあこちらの風聞が悪くなるだけだろう。
今日のようにあんまり多いときには、真面目な顔でそっと私に耳打ちでもして「レハト様、そろそろお時間です」なんてやってくれるといいと思う。
そうしたら私も、神妙な面持ちで頷きを返しやすい。
正式な会談を潰してまで引き止めようとする人間はいないものだし。

「じゃあ、今度の休みのときは、それやろうな」

グレオニーと二人だけの休みなんて、そんなの、しばらくないのに……。
私の心境を察しない屈託のないその笑みが憎い。

それに、心境のほうは置いておいてもだ。いくらなんでも、言い寄られている私の状況を察してくれていなくては困る。
私とグレオニーには何の確約もないのに、どの口がそんな悠長なことを言うんだ。

見上げて、グレオニーを睨んでみても、その表情は慌てて崩れることもない。
ちょっと困った具合に眉尻を下げたくらいだ。
寝転がっているのが駄目か、凄みが足りないかと考えていると、できるなら言いわけを聞いて欲しいと申し出がある。
寝そべったそのままの体勢で聞くと答えれば、グレオニーはわざわざ片膝をつく。

「俺は一衛士から、貴方の護衛にようやくなれた。やっと、他の人と同等に、貴方の側にいてもいい立場になれたって、そう思ってたんです」

言いわけだと切り出した割に、グレオニーの言葉は気軽さを失くす。
かといって焦った感じも緊張する感じもなくて、落ち着いているけれど。

「でも、こうして護衛につけば、貴族方がひっきりなしに貴方のところへ来られますから。ついてるのが俺だけの時には特に」

同じ高さで視線が合っていて、身体を起こしたらその視線が外れてしまいそうなので、少し黙って聞いておく。
しかしなんだ。状況はちゃんと知れているんじゃないか。
だったら、なんでさっきみたいにへらへらとしていられるのかと思う。

「それって、俺はただの護衛よりも、貴方に近い人間だと思われてるってことでしょう? わざわざ目の前で牽制されるくらい、俺は貴方の近くにいられてる。そう考えてたら、気持ちに余裕ができてたんです。だから、呑気なこと言えてたのかもしれない」

予想外の言葉に、だんまりを続けたまま何の相槌も返せない。
頭の中で返す言葉を探していると、グレオニーは得意げな顔に戻る。

「そんな感じで、言いわけ終わり。それでも、もう何人来たっていいんだって思っちゃうんだけどな。俺がお前の隣にいられたら、守っていられるから。大丈夫かなって」

ひとつの焦りもない、その気の抜けた態度に怒っていたはずなのに……張り合う気持ちが持てない。
そうやって私の隣にいることに疑いを持たないグレオニーを、好きじゃないわけがないんだ。
私の気持ちは揺るぎようがないらしい。結局、全くもって、グレオニーの言う通りらしい。

ちょっとした一言だけで丸め込められてしまった。
グレオニーの得意げな表情を助長するのだと思うと、また悔しいが、やっぱり……これからも、ずっと側にグレオニーにいて欲しい。

言えば、ほら見たことか。ますます嬉しそうな顔になる。
椅子の肘掛けを掴んでいた私の手に、グレオニーの手が重なる。

「レハト。これからも、ずっとお前の側に」

一回り大きい手のひらからの温度。屈むとようやく近くなる背の高さ。笑っているのも泣いているのもすぐに知れる口元、声の調子。
あと、どうやら最近は、私に対して自信家なところ。

その全部が嫌いじゃないんだ、結局。結局。
私は、誰に何を言われようとも、何があろうとも、グレオニーが隣にいてくれさえすれば、いいみたいなんだ。