夕刻の訪問者
そろそろ陽の光も弱い。
この見回りを終えてしまえば、今日の仕事からは解放されるので、誰か適当にひっ捕まえて城下のほうにでも遊びに行こうか。
どこぞの誰かではないけれど、何事の問題も起きず一日が終わるっていうのも嫌いじゃない。

そう、思っているときに限って、厄介ごとっていうものは降って来るらしい。
あの雨男に肩入れしているくらいだ。神様ってのはなんとも私に優しくないね。

あれは……兎鹿かね?白いふわふわした動物を模した被り物をして、宿舎の前で子供が膝を抱えて座っている。
首から上が兎鹿で、身体のほうは人間という姿は、さながら魔物でも真似てるのか。
あんなに目立っているのを、衛士みんなで揃いも揃って遠巻きにしてる。
まあ、不気味だとは思うよね。あの見た目なのに、微動だにしないのがまた怖い。

おふざけに興じていらっしゃる貴族のお坊ちゃんなら、誰かしらが注意して帰してあげることもできたんだろうけど。
誰も手を付けていないってことは、あれは寵愛者様なんでしょう。
この時間まで城に残っているのを許される二人のうち、もうお一方はこんな衛士宿舎にまで遊びに来るお人じゃあなし。
顔が見えないから、人間のほうの格好を見てやれば、まあまあ未だに平民文化から抜け切れていない様子の着こなし。無駄に背筋がぴんと張ってるところは、あの子の癖だ。

これから私がお声をかけられるであろう相手が確定したところで、誰に気づかれないようため息を吐いておく。
目ざといからね、あの子。この距離だって、被り物してたって「寵愛者に向かって何事だ」なんて言い出しかねない。

なるだけ素知らぬふりで通り過ぎようと考えたところで、今まで一切の挙動を見せなかった寵愛者様が、すっと立ち上がる。
兎鹿面の視線がこちらを見据えてくれる。完全に私が標的みたい。

立ち往生で睨みあいをしてても埒は明かないから、早歩きで横を抜ける……「ねえねえ、ハイラ」前にやっぱり呼び止められる。あーあ。

「私になにかご用事で、寵愛者様?」

渋々立ち止まって、そちらを見下ろして兎鹿と目を合わせてみる。細長い鼻筋に見上げられる。
ていうか、獣臭い……兎鹿臭いよそれ。よく被っていられるね。

しかめっ面の私の台詞を、単純に疑問として受け取ったのか、「これはハロウィンというものだ」なんて被り物をしてる理由を解説し始めた。
なんだか魔物の格好をしてお菓子をせびる子供向けの祭りがあるとかないとか。
私はその祭りは聞いたことないけど。前に暮らしてたところで、やってたのかね。

説明を終えれば、寵愛者様は「悪戯をされたくなければ、お菓子を差し出せ」と両手のひらを出す。
そうは言われても生憎私は甘いもの持ち歩くことはしてないから、差し上げるのは無理だねえ。ハロウィンとやらの存在も知らなかったんだから、用意してるわけもない。

「残念。私を捕まえてもいいことなかったね」

肩をすくめて見せれば、あっさりとその手を引っ込める。
おや、食い下がらないってことは悪戯のほうに移行しようって魂胆なわけか。なにかを言い出す前に逃げた方が良いね、こりゃ。

「寵愛者様、一つ良い知らせをあげようか。さっきね、グレちゃんがあんたのこと探してたから、そっちに行ってあげな」

当然、嘘なんだけど。

本当?と首を傾げる兎鹿様に、あっちの回廊のほうだったと告げて視線を投げる。
今日はグレちゃんとは顔さえ合わせてはいないんだけど、この寵愛者様にはグレちゃんのお話をしてあげるのが一番効く。グレちゃんのほうも同じく。お互いわかりやすいのは、すごく良いところなんじゃないかねえ。

すれちがいになる前に走って行くのをお勧めするよと付け足せば、相変わらず偉そうに「ハイラのわりに、役に立つことを言う」とのことで。お役に立てて光栄ですよ。

さあて、これで私は寵愛者様から逃亡を謀れるわけだね。
宿舎に入って行こうとすれば、がくんと後ろに引っ張られる。

「……なんで、私の腕をがっちり掴んでいるのかな?あんたは」

振り返れば、子供の力とは思えない強さでしっかりこちらの腕を握り締めている寵愛者様。
せっかく私が有益な情報をあげたんだけど。グレちゃん放っといていいの?
聞き返せば、グレちゃんが自分を探し回っている間にグレちゃんの部屋に連れていってほしい、と言い出す。

寵愛者様曰く「悪戯の回避方法はお菓子献上だけではなくて、客人をもてなすことでも良い。だからハイラは、僕をグレオニーの部屋に連れて行くというもてなしで勘弁してやろう」だそうだよ。
後出し情報はずるいんじゃない?

試しに、そのもてなしも私が拒否したらどうするのか尋ねてみれば、寵愛者様は被っていた兎鹿面を外してから、こちらに向かって大変良い笑顔。
それから、掴んだ私の腕を盛大にねじる。
加減をしようという気持ちが微塵も感じられない力の入れよう。かなり、痛いんだけど。
手を出して止めることもできないから、口で抗議するしかないのだけど中々やめようとしない。これだから寵愛者ってのは。

ようやく止めたその顔は非常に満足げ。大人の腕を捻り潰そうとしてくるこのお子様の腕力が恐ろしいよ。
無駄に筋肉つけすぎなんじゃないの、またどうせ二人で訓練場にばっかりいるんでしょ。グレちゃんはなんだってこの子を熊にしたがってんの。

「さあ、グレオニーの部屋に連れて行ってくれ」

ねじれて痛む関節をさすっている私に向かって、相変わらずの笑顔で自分の要求を押し進めてくる寵愛者様は慈悲かなにかが足りてないよ、絶対。
そもそもグレちゃんの部屋になにしに行くのさ。
小脇に抱えた兎鹿の頭を掲げて「悪戯!」と景気の良い返答がきたので、選択権も与えられていないグレちゃんのことをちょっとだけ不憫に思うよ。

グレちゃんの部屋までの案内くらい、そこらへんの衛士に頼めばほいほい従ったでしょうに。どうしてわざわざ私を捕まえるかね。
呆れにため息を吐けば、「嫌がらせついでに」と非常に正直なお返事を頂けましたよ。
さっきグレちゃんのこと不憫に思ったの無し。私のほうがよっぽど不憫。
これがアネキウスに愛されてるってんだから、本当に神様は私に優しくない。

それに、と前置きして「よく知らない衛士に声をかけて、迷惑をかけたくなかったから」と付け足す。
私だったらいくら迷惑をかけても問題ないってわけだ、はいはい。

「さっすがハイラ、よくわかってる!」

にこにこした顔でそっと腕に手をかけられたので、ねじ切られる前にさっさと連れて行ってあげようか。