五十日
正門からまっすぐに伸びた、城の中でも一番広い通りも、市の日となれば所狭しと広がった色鮮やかな天幕に覆われる。
露店の商人の呼び込みの声も、品定めに歩く人々のつぶやきの音も、騒がしく降って来る。
市の人混みの中に居るとき僕の背の高さは、足元からつむじまで全部が賑やかな空気に包まれているみたいな感覚になる。
花を模った小物や良い匂いのする焼き菓子、見たことの無い形の楽器と、あちらこちらへ目移りしながら、馴染みになった顔を覗きにいつもの場所へ足を運ぶ。

「よ、レハト、今日も良い天気でいいこったね。」

ひょろりと細い腕を持ち上げて、店の主人は僕に言う。
同じように手を上げて返事をし店の前に立てば、通り過ぎて来たどの天幕に並んでいたものよりも、奇妙で怪しい品々が僕を見返す。
いや、もしかしたら取り揃えは本当に、彼が言うように、そこまで怪しくないのかもしれない。僕はそのへんはあまり詳しくないんだけど。
ただ結局トッズ自身の存在がどうもこう、展示された商品たちに胡散臭い感じの付加価値をつけている。気がする。

また手伝いでもどうかと誘われて、二つ返事で了承する。商人の真似事というようなものは城では触れないからそれだけでちょっと珍しい。
いつもは市の空気の中に混じっているだけなのが、こうやってトッズの隣に来ると、その空気を動かし作っている側へとなった気分になるのも良い。
積み上げられた品物をぐるりと回って天幕の下に入れば、照り付ける日の光が遮られるのは勿論だったけれど、思っていたより随分と涼しい。なるほど、今日は良い天気だ。

「最近よく来るね。ここ二月くらい、市でレハトの顔を見ない日は無いなあ。」

言いながらトッズは座っていた場所を開け、僕は商品も客も良く見える店の真ん中へと陣取る。
今日が市開催だけじゃなくて、他の催し物が開かれる日だということは忘れておきたい。
さて、何を売ってみせようか。
あの蛇の置物なんて、もうずっと並んでいると思うけれど、一度も買われた例がない。あれを手に取って頂く策を考えようか。

「レハトは市好きみたいだけどさ。ちょいと前は、黄十日は顔見せてなかったよね?」

振り向いて、あの品は一体何に使うものかと聞こうとする前に、トッズから疑問の声があがった。
確かに白の週も、青の週も、僕は市のある日は朝から準備をして、楽しみに来ている。黄の週だけは別だったけど。
僕の予定なんてそんな細かなもの、よく覚えていたものだ。

大事なお得意さんが来てくれる日に素敵な商品を用意できなかったら困るからねえ、とトッズはへらへら言う。
その軽い声色に含まれている意図は、ふと気付いたから口についてみた、というものじゃない。僕の様子の変化に何があったのかを聞き出したいのが読めて取れた。

何で急に顔出すようになったって、それは大した話じゃないんだけど。
今までは、黄十日は大事な予定があったんだもの。でも、それも、なんというか、もう、行くわけにもならないというか。
ああ。忘れようと思っていたことを思い出させないでくれよトッズ……。

今朝も市とは反対方向の中庭で、多少なりとも準備が行われていたのが、実の所どうしても気になっていた。
ローニカやサニャに出席の有無を尋ねられたときも、ねちねちと寝台の上で悩んでから、やっぱり行かないことにした。
市の楽しい空気に紛れていれば、試合のことなんて思い出さなくて済むと思ってここに来たんだ。

もう二度と誘わない。そう強く言い切られて、もうちょっと詳しい話でも聞きたかったのに、彼も彼の友人も、随分な速さで訓練場から居なくなってしまった。
グレオニーと約束したから試合を観に行ったのだと、訓練場で話しかけられた衛士にそう答えた直後に、誘い出した当の本人に置き去りにされた僕の心持ちを察してほしい。
うまく行かない場面を人に見られるのは、僕だって情けないし恥ずかしいとも思うけれど、それでも、僕はグレオニーの力になってあげたかったし、彼のことを応援するのが力になっているとばかり思っていた。見に来てほしくない、という旨の発言に戸惑ったのと同時に血の気が引いた。

そのあと、試合のこと以外は今まで通りに話せていたから、僕の中で気にはしていても、グレオニーに試合について問おうとは考えないようにした。だから、先月も今月も試合場には訪れていない。市だって楽しいし。
観に行っていないぶんの彼の戦績は知らない。噂に良いとも悪いとも聞かない。それはきっと普段通りということで、つまり二回戦……やめよう、考えるの。
それだけ、それだけのことなんだ。面白い話じゃなかっただろう?

「ははあ、レハトも悩める日々なんだね。そりゃ心の傷を癒すのに、トッズさんに会いたくもなるね。」

冗談交じりに返してくれるトッズのそういう面はとても有難い。
口元が愉快そうに緩んでいるから、僕の持ち合わせている感情も、たぶん、すっかり知られてしまったけど。
とりあえず今は、トッズの言葉を借りるなら、市で僕の心の傷を癒させてほしいんだ。試合が終わったらまた、別に、何とはなしに過ごせるんだから。

「勿論、勿論。レハトがそうしたかったらね。話せる悩み事だったら、俺にいつでも相談しなさいな。」

そう言って蛇の置物を僕の手のひらの上へ乗せて、これは素材が一級品でねと続ける。
あっさりと切り替えてくれるトッズに合わせ、ふんふんと頷きを返す。一度トッズの口から紡がれる言葉に耳を傾ければ、嘘なんだか本当なんだかは置いておいて、軽妙なそれは面白くてついつい聞き入りたくなるものなんだ。
僕が行うのは、そのお喋りへ渡るまでの橋掛け作業なのだ。木彫りの蛇を通る人の目に付くところへいそいそと置いてやる。

視界の端に白いコートが翻る。巡回している衛士だろうと顔を上げれば、予想外に見知った顔で驚いた。
グレオニー。君ってやつは、空気の読まなさの大会があったら、優勝なんじゃないか。

唖然として動けなかった僕に対して、グレオニーのほうは大袈裟に肩を跳ねさせた。
なんでここにいるんだ。今日は御前試合が開かれてるじゃないか。試合、出てないのか。先月はどうだったんだ。
ぐるぐる考えている間に、グレオニーはこっちへ寄ってくると、トッズが脅した脅してないと二人で勝手に話が進む。グレオニーの気迫に、わざとらしく焦って見せたような態度でトッズが肯定の返事を求めるのに、僕は軽く頷いただけだった。

付き添いも無しなんて不用心だとグレオニーは言い出して、トッズのほうは警護にあたろうという彼を追いやりたい。衛士が見張ってる天幕なんて、そりゃあ物騒に思われるに違いない。
正論を突くのはトッズのほうで、言い負けたのはグレオニーだ。

「レハト様、ちょっと待っててください。他の奴に代わってもらってきますから!」

いくらか考える間があったあと、結論を宣言し即座に城内へと走る彼は、わき目もふらない。口を挟む暇もない。
いつも思うのだけど、グレオニーは自分の事に手いっぱいになると僕の意思決定を無視しがちだ。そこが彼を放っておけない要因のひとつでもあるんだけど。

「うわー、こりゃダメだ。」

彼が消えていった人波を見やりながら、呆れた様子でトッズがため息を吐いた。
グレオニーに側に立たれながらの物売りがうまく行くこともないので、本日はお開きとなって、トッズは早々に片付けを始める。広げられた品々がてきぱきと収納されていく。
半分ぐらいの商品が荷になった。トッズの持ち合わせる品はいつも不規則不揃いなのに、きちんと手早く収まるから、手馴れている。

「レハトは、あの衛士さん待つの?」

待っていなくてはグレオニーが困ってしまうだろうから。邪魔にならないよう、天幕の隅から通りに場所を移して返事をした。
トッズが全部片付けてしまうのなら、ぽっかりとこの空間が開いて、見つけもしやすいんじゃないだろうか。それともグレオニーが戻ってくる前に、市の雑踏に埋もれてしまうだろうか。

「ああ、そうだ、はい。レハトにお給料出しとかなきゃね。これね、絶対温まらないっていう石。」

すっかり石畳だけになったところで、トッズは僕の手をとって、そこへひやりとした石を乗せる。薄く平べったい石は、すべすべして触り心地が良い。
結局今日の成果はなにひとつ出せていないから、こんなものを貰ってしまっては申し訳ない。
僕は石を乗せた手をそのまま彼に差し出すと、トッズは首を振って押し戻す。
話も聞けたお礼にと言うけれど、碌なものではなかったし、そもそも僕が店先に座ったせいでグレオニーに見つかったというのも……。
理由を並べ立てていると彼は、実は仕舞い損ねたと言った。それなら、多分、それほど珍しいものでもないので寄越すのだろうから、受け取っておこうか。

「今日は暑いからかなあ、なんて。レハト、お前さんわかりやすく真っ赤だよ。ほっぺたにでもつけといたほうが良いんじゃないかね。」

トッズの発言に疑問が先立つ。
僕は顔なんて別に赤くないと思うんだけど……いや、うん、赤いね。空いているほうの手を頬にやれば熱い。
自分の具合を気づけないなんて、僕は相当動揺しているのか。

グレオニーに発見された時からこんな感じだったのではないかと思う。長々素知らぬふりをされていたのだと思い知ると、ますます顔に血が集まってくるようだ。
心臓が跳ねているのを悟られないように、一生懸命振る舞っていたつもりだったのだけど、まるで通じていなかったらしい。

恥ずかしいことながら、グレオニーの試合結果がどうしたなんて、トッズの今日の成果がどうしたなんて、今は二の次だ。
試合やら警備やら他のどれよりも、グレオニーの中で、僕の隣に居ることが優先順位が高かったことが、どうしても嬉しく思えてしまう。今朝もあんなに彼の試合が心配で気を揉んだにもかかわらずだ。
だって、前は、そんなこと言わなかったじゃないか。

グレオニーが戻ってくる前にと、ひらひら手を振るトッズを見送って、壁に背を預けて地面に座る。……一応頬に石でもつけておこうか。
衛士たちの警邏に穴が開くようなことがあってはいけないから、おそらくグレオニーは非番の知り合いでも探すのだろう。しかし、こんな市も大会も開かれている日に、彼の事情で仕事を代わってくれるような人物なんて、なかなか居ない気もする。
しばらく待ちぼうけになるかもしれないと晴れた空を見上げた。
それを待っているのも決して苦ではないので、僕は本当に仕方がない。