秘密作戦
巡回からグレオニーと帰ってきたら、訓練場に寵愛者様がいらっしゃった。訓練場にいるのは珍しいことじゃないんだけど、話してる相手がハイラだっていうのが珍しい。
お互い顔を知ってるとは言え、話の内容が合わないらしく、滅多なことでは声をかけに行かない。普段なら。
それを見て気が気でない様子なのが隣にいて、視線が二人に向いたまま、眉間に皺を寄せて落ち着きが無い。心配なんだろう。
ハイラが明らかに失礼に振る舞っているわけでもなさそうだし、寵愛者様が怒っている様子も見受けられない。
問題が起きないのならそれが一番いいんだけど、放っておくと爆発するかもしれない。隣が。
ほら、レハト様いらっしゃるんだからお声かけに行けばいいんじゃないか。
ハイラと話してるみたいだけど、お前がいなかったから、暇つぶしでもしてたんじゃないのか。
背中をぽんぽん叩いてみるも、なんだかごにょごにょ言葉を濁す。今日も言い訳が多い。
どうにもこの男は鈍いから、寵愛者様のお心が向けられているのには気づいてない可能性があるけれど、自分の感情がどこへ向いてるかわからないわけもないだろうに。
ハイラもこちらに気が付いたみたいで、目が合った。
ひらひら手を振っているので、レハト様のお話はまたグレオニーに関してのことらしい。双方のためにも早いとこグレオニーを向かわせるのが得策だろう。
寵愛者様が振り返れば、びくりと隣の肩が跳ねたので、気になるなら行って来いと、とりあえず無理にでも押しやる。
グレオニーが駆け寄るのと入れ替わりに、ハイラが逃げるようにその場を離れた。
立ち去るほうには一瞥くれたくらいで、寵愛者様はあっさりグレオニーに向き直る。やっぱり、あいつ待ちだったということだ。
これでもうしばらくは大丈夫だろう。
***
なんかね、この寵愛者様がくっだらないことを言い始めたんだよ。
グレちゃんにあれやりたいんだって、あれ。後ろから目に手をあてて、誰って当てさせるやつ。
でも寵愛者様はあの背の高さだから届かないでしょ。だから私に持ち上げろって言ってんの。
くだらないでしょ?
私じゃなくても良いじゃない。ていうか、そんなことしなくても良いじゃない。
そんなことに付き合えるほど暇じゃないんだけど。
そしたら寵愛者様、頼める知り合いが私ぐらいしかいないんだって。
寵愛者様にご用事を任されるくらいの関係になってたことに、私は驚き。
フェルツのが仲良いでしょって言ったら、いま訓練場にいなくて、私がたまたまいたから私に頼んでるとのこと。
こっちに両手伸ばして、抱っこして、って言ってくる。十四歳が抱っこって。
あれだね、きっとグレちゃんが目の前でそう言われたら、卒倒ものだろうねえ。
そう返したら、グレちゃんを引っかけるためにやるからグレちゃんに言うのは間違ってるとの返答。
はいはいと、なげやりに相槌を打つと不機嫌そうな顔をする。
あ、ほら良いとこにグレちゃん帰ってきてるじゃない。
目線で向こう側へ訴えれば、当然隣のほうが先に気付く。よし、逃げられそう。
フェルツもいるよ。私のことは解放して、あっちに遊びに行っておいで。
さっさと立ち上がろうとすると寵愛者様に止められて、耳元で今のはグレちゃんには秘密にしておくようにと小声で言われる。
別に言わないけど。
面倒だから私は関わりたくないなあ。でもグレちゃんすっごい睨んでるね。こっち来るね。
はあ、あんたの挙動一つでグレちゃんを一喜一憂させるのほんと勘弁してくれる?八つ当たり回ってくるの、こっちなんだから。
グレちゃん、はい、寵愛者様あげる。
じゃあ私はこれで退散。ばいばい。
***
ぱたぱたと足元に小さな影が寄って来て、グレオニーは不在かと問われる。
しばらく戻っては来ないはずなので、待つにしても時間がかかりすぎることを伝える。
それならば良いと寵愛者様は満足げに仰られる。
今日は俺のほうに話があるというか、頼みがあるそうで、先日のハイラとのやりとりを聞く。
そういう内容だったのかと、あの後のグレオニーが妙に気落ちしていた理由を知り納得する。
自分には言えないような耳打ち話が、よりにもよってハイラとの間にあるのが嫌だったんだろうな。
問いただせなかっただろうし、仮に尋ねられたとしても寵愛者様は答えなかったろうから、どっちにしても落ち込む羽目になっていたわけだ。
……もしかして、あいつのハイラへの態度が最近刺々しいのはそれが根底か。
えーと、それでレハト様を抱えて、グレオニーの後ろにつけば良いってことですよね?
一つ事態の理解をしたところで寵愛者様に向き直れば、フェルツは話がわかる人で助かる、と目をきらきらさせて仰る。
大変ささやかなお願いごとで良かった。なんというか相変わらず微笑ましい。
今日の寵愛者様はこの後はお勉強だそうで、顔を出しに来れないことを残念そうにしていた。
本当に一途にグレオニーのことばかり話す寵愛者様を見ていると、ひとりで頭を抱えているあいつを思い出して、報われない想いでないことにいつも安心する。
当の本人はおそらく今もどこかで悩んでいるだろう。仲が悪くないのは明白だけれど、もう一歩踏み込めるかどうかを考えて。
今度の休日に決行ね、と寵愛者様の弾んだ声に、その日の巡回の担当を思い返す。
確か俺もグレオニーも空きの時間帯があったはずだ。
大丈夫そうだと返答すると、ばれないようによろしくと廊下を駆け戻って行った。
見送っていれば、ハイラがにやにやした顔で近付いてくる。
どうしたのグレちゃん放っておいて二人で内緒話?と聞いてきたので、お前のほうこそと返しておく。でも丁度良かった。
***
なんていうか囮役?気を惹く役割なんだそうだよ、私。
寵愛者様に頼まれごとした日以来、あきらかにグレちゃんが私に対して当たり厳しくなってるのは知ってたよ。
あれ無自覚なんだよね、怖いなあ、嫉妬深いのって。
そんなに寵愛者様に食って掛かったりしてないと思うけどね。
グレちゃんの一方的なものだから私もほとほと困っていたわけだけど、今日で解決するんだって。
何かって言ったら、あのくだらないやつをやるんだって、あー、私もフェルツも暇人だ。リタントが平和で良かった。
グレちゃん、ちょいとお話があるんだけど、レハト様のことね。
自主訓練に出ていたところに声をかければ、一瞬で目の色が変わる。楽なもんだ、寵愛者様詐欺できそう。
本腰を入れる必要があると感じるらしくて、待っていて欲しいと言ってから、引っ張り出してきていた道具を片付け始める。
もう周り見えてないだろうね、頭の中はこの前のことでいっぱいだろうね。一直線だね、ほんと。
戻ってきたところで、そういえばさあ、と寵愛者様とは全然関係のない話を振る。
一瞬怪訝な表情をするも、まあまあ生真面目。答えを返してくれるから、そのままだらだら引き伸ばしてあげよう。
グレちゃんの注意が私に向いていれば良いわけだからね。
人差し指を口に当てて、フェルツを見上げる寵愛者様の顔は真剣そのもの。
それに対してフェルツはまあ、苦笑いを作ってるけど、笑顔なんだから凄いな。私はとてもあんな風ににこにこしてらんないわ。
視界の手前でグレちゃんが何も知らないでどうでも良いことを喋って、奥のほうでは準備万端の寵愛者様とフェルツがいるわけだけど、やっぱこれかなり馬鹿馬鹿しいことに加担してるわ……。
あー、そうそうその話なんだけどね、グレちゃん。
こちらの返しにグレちゃんが相槌を打つのと同時に、だーれだ、だってさ。
寵愛者様、それはそれはもう楽しそうにね?
問題を出された本人は、驚いたあと戸惑った様子の声で答えつつも当然正解。
声には出てなくとも顔には出てる。頬も口元も緩んでる。見えないけど、どうせ目元も。
見てるこっちは顔引きつってるんだけど。
***
当たり!と声を弾ませて、寵愛者様は両手を離す。
ぐるりと体勢を反転させたグレオニーに、驚いたでしょう?と尋ねた。
それに照れつつ頷いて答えているのが嬉しそうなので、良かった、良かった。
ここ数日はこのための準備をしていたんですよね、俺もハイラも。
話に混じれば、たった今存在に気付いたと言わんばかりに目を見開かれた。
同じ高さだったのに疑問は特に覚えていなかったらしい。
下ろせば、俺の両手と寵愛者様を交互に見やる。ああ、抱えてたから……。
ぐっとなにかしら飲み込んだあと、気にしていないと言うものの、気にしてるよなあ、こりゃ。
事の顛末を寵愛者様がつらつらお話しなさるところへ、ハイラと二人で相槌を打つ。
とりあえず、グレオニーを喜ばせたい寵愛者様を手伝ってたことはわかっただろう。
だからハイラに当たらないようにあとで言っておこう。ハイラの表情筋が限界とばかりに、いらいら強張ってたから。それで一個解決。
レハト様、ご満足いただけました?
発案者のほうはどうかと聞いておく。寵愛者様は大きく頷かれたので、こっちも解決と見て良いだろう。
あとはあいつの無意識的な嫉妬なんだけど。
そんなに大事なんだったら、自分のほうへと引っ張り剥がすくらいの気概を……見せられるわけもないんだよなあ。発破をかけるのも良いのか悪いのか。
やっぱり見守るぐらいしかないのか。
こっちへの矛先は、ハイラほどあからさまにはならないのが予想できる。
むしろ内側に向け出しそうだ。それにまたへこんで、なんて悪循環を作りかねない。
とりあえず、寵愛者様からの頼まれごとはこれで、落着ということで。
今はグレオニーをどう宥めるか考えることにしよう。