忘れてた
なんだか成人してからは訓練だ勉強だって急かされないらしくって、レハトは解放された時間が増えたということだった。
子供の頃とは違って会いたいときに会えるようになって、レハトの側に居たいときに居られる。
仕事前には当然一旦お別れなんだけど、私事と仕事の線引きに、持ち場へ行く前に訓練場に寄る習慣がつくようになった。

訓練場へ着けばレハトは「いってらっしゃい」と手を振って中に入って、適当な衛士を捕まえて、話をしたり見物をしたりしてる。俺が居ない間の丁度良い暇つぶしになるんだそうだ。そうして巡回を終えて訓練場に帰ってくれば「おかえり」と駆け寄って迎えてくれる。
これに幸せを感じない理由がないのだけど、ここ最近はちょっと素直に受け取れない。

こう待っててくれるのはとても、とても嬉しいんだけど、でもそうやって、他の奴らと楽しそうに話してるのはどうにかならないのかな。
昔から訓練場に通い詰めてたから、ここが一番居心地が良いのもわかるし、レハトの気質はどっちかっていうと貴族方よりも俺たちみたいなほうに近いから気が楽なんだとは思う。
仕事の邪魔にならないようにって、レハトもちゃんと意識の区切りをつけてくれてるから、今みたいにあっさり手を離してしまうのはわかってる。
わかってるけど、俺も切り替えられなくはないけど……。

入った途端、レハトが誰かしらに目をつけるよりも先に「丁度、暇になったところなんです」っていう声掛けがあまりにも多すぎる。
あれはレハトが来るのを待ってる。ていうか俺の仕事時間に合わせて自主練習に来てる、絶対。
レハトは誰から見たって魅力的な人なのは間違いない。それでもあんまり親しくされるのは気分が良いものじゃないわけで。

「座れるとこでお話しでもしませんか」なんて誘いに一つの否定も見せないで頷くレハト。やっぱり我慢できそうにない。
話に割り込んで回廊のほうに連れ出す。
声をかけた彼に対して、昔の自分もあんな感じだったかもしれないとか思わなくもないけど、今はもう強気に出ても良い立場のはずだと心の中で言い訳をしつつ向き直る。少し眉をひそめてる。

嫉妬めいた気持ちなのは自分でも重々わかっているんだけど。
レハトが楽しく過ごしてるのを決して邪魔したいわけじゃないけど、やっぱり仲良くしすぎないで欲しい。心配になる。

そう告げたらますます眉間に皺が寄る。
心配だって少しでも思ってしまうのは、レハトを疑っていることと同意義で嫌だとは思う。
それでも、レハトと向かい合って手に入るその声も表情も、たくさんは他の人にあげて欲しくない。俺にだけとかは考えてないけど、もう少しだけ抑え気味で。

はあ、とレハトはひとつ溜息をする。
そ、そりゃあ呆れられるかもしれないけど。胸のもやもやした感覚に無理やり蓋をしているのも、個人的にはかなり辛い。
俺が返事をする前に、レハトは心配なんてしなくて良いとつぶやいた。
顔を上げてこちらを見なおす。それから、グレオニーのことを信頼してるから心配に思わないし、されるとも思っていなかったと続ける。

「不安にはなれないよ。グレオニーにもそう思われてると思ってたんだけどなあ。」

信頼してる、されてる、のは俺も一緒。
それとは関係なしに、レハトの仕草ひとつでも些細なことでも期待する人はいる。そうなってしまうのが不安、というか、嫌だ。
そう返せば、二回目の溜息と一緒に顰めた顔を解いてから、レハトは口を開く。

「それにね、グレオニーにしか見せてない表情ってやっぱりあるよ。それは他の人にはあげてない。グレオニーだけに持ってて欲しい。」

じ、と言葉の無いまま見あげられる。
返事を待って結んだ唇と、逸らさないようにまっすぐ見据える目。
……たぶん、いまのこれも俺しか見てない顔。

造形だって綺麗だけど、それに乗るレハトの俺に向けられる感情に、さっきの言葉と合わせて、どうしようもなく胸が締めつけられる。
目の前の肩を抱き寄せる。俺だけが見てるレハトは俺だけが持っていたいと思う、とても。
瞬間レハトの肩がすごく跳ねた。そのままで居れば、少しだけ戸惑った様子で元の高さに戻る。

結局のところ、心配なのは心配のまま解決はしてないんだけども……。
見下ろせば照れて困った様子のレハトがいる。

「えーとさ、フェルツとハイラが待ってるよ?」

…………。
なんでその名前と口に出しそうになったのも一瞬だけで、状況を思い出しつつ、そっと手を離す。
……仕事前だった。訓練場の出入り口なんだった。そりゃレハトも困る。

ゆっくり振り向いたら、視界の端に、壁に凭れかかった二人が見えた。
いやもう、可笑しいくらい顔が熱い。
「いってらっしゃい」と手のひらを向けるレハトにもうまく顔が向けられない。とりあえず返事はしたけど、ちゃんと言えてたかどうか定かじゃない。

「目立つところでああいうことするのどうかと思うよ、私的な意見じゃなくてね。」

持ち場に向かいながら、いつもみたいに嫌味っぽくない、淡々とした口調でハイラが言う。隣を歩くフェルツにも頷かれた。
……本当に返す言葉もない。
レハトはきっと待っててくれるんだろうけど、今日はもう訓練場帰りたくない。