緩慢
鎧戸を閉めた窓からは一筋の月の光もない。手に持った蝋を寝台脇の棚に乗せて、息を吹く。明かりを消すと部屋はただの暗闇になった。
火を伏した匂いが、鼻を掠める。
衣擦れの音がして、仄かに光る徴が左奥からこちらを振り返る。
それを目印のようにして、そうっと顔を近付けると、まばたきを二回した瞳と合う。
なるだけ、静かにしていたつもりだったのだけれど。
「起こしたか?」
尋ねれば、手の甲で軽く目を擦って「グレオニーを少し待っていた」と言う。
今はもう魔の時間になってからだいぶ経っていた。
通り抜けてきた回廊からは夜空に星がよく見えたし、廊下は自分の足音ばかりが響いていた。
夜間を担当している人たちが目を光らせているだけで、城中が静かに眠っている。
「早く寝て良かったのに」
遅くまで起きてしまっているのが心配で。
でも俺を待っていたくれたことはやっぱり嬉しくて、すぐに「でも、ありがとう」と返してしまった。
頭の脇に置いていた手を引いて隣へ転がる。目は暗闇に慣れてきていた。
レハト側に体を向けると、彼女は近寄って俺の胸あたりに額をつける。
「こうしてると、安心する」
俺の服の前身ごろを軽く掴んで、そう言う。
伸ばした足に彼女の足先が絡まる。寝台の中に居たつま先は温かい。
人の温度に触れていることが安心するのだという。額を、特に徴を触れさせていることが。
「母さんと、グレオニーくらいだけどね」
額のほうは、と続けられる。
レハトにそう思われる立ち位置に自分がいられることは幸せだった。
それでも、眠そうにやわらかい声色に隠してはいたけれど、母親の話はレハトだってどうしても寂しく思うことに違いなくて。
一緒に想いを向けてあげられるのなら、彼女の心が安らぐのなら、レハトの側に居たい。触れていたい。
肩の後ろへ腕を回してこちらへ寄せ、後ろ頭の髪の毛をかきあげるように手のひらをさしこむ。普段は整えられたものをくしゃりと崩して良いのは、こうして二人で並んでいるときだけだった。
顔を傾けると、甘い匂いがする。彼女の匂いだ。
薄い寝間着越しにお互いの温度が高い。
夜がゆっくりと過ぎていく。
少しだけレハトが身を捩る。腕を離せば顔が上げられ、徴がじわりと僅かな光を放つ。
とろりとした瞳と薄く開いた唇につい目が行く。
暗がりの中でも、というか、暗がりだからこそ魅力的に感じられて、どきりとする。
ゆるゆると手を伸ばして、レハトの頬につくかつかないかのところで、彼女があくびをしたので、慌ててひっこめた。恥ずかしい。
「もう、眠いな?」
ひとつ息を吐いて、一旦気持ちを切り替えてから聞く。
レハトはこくりと頷いて、また胸元に戻った。
それから「おやすみ、グレオニー」と、くぐもってふにゃふにゃとした声が言う。すぐに規則的な呼吸音に変わった。
もう一度だけ髪の毛に指を通して、おやすみと返す。夢の中の彼女からはもちろん何の返事もなくて、寝息に合わせて小さく肩が上下する。
柔らかい体温に触れながら、まぶたを閉じた。