気づかないひと
中庭を散策する俺よりひとつぶん頭の小さい主人と、肩を並べて歩く。
レハトの意向で、散歩のときは真後ろではなくて、隣を歩いていた。主従関係にあれども、成人前からの友人であることには変わりないのだから、散歩のときくらいはということだった。
俺も気兼ねしなくて良いのは嬉しいことで、こうやっている間は少しだけ、本当に少しだけ、張っている気も緩んでしまっている。

しばらく歩けば、定番の散歩道からは外れて、木も草も無造作に生える場所へと入る。子供の頃からレハトはよく通っていたそうだ。
日の当たらない地面はいくらか湿っぽくて、小道を進めば細い川を越えるための橋がある。

こんな薄暗い場所に、子供一人で入って怖くなったことはなかったんだろうか。
そう尋ねれば、冒険みたいで楽しいじゃないかと返される。
口の両端を上げて笑うその顔に、悪戯を思いついた表情の子供を連想する。
レハトは随分と容姿が変わったほうだけれども、やっぱりまだまだ昔の感じが抜けきらないところに、微笑ましくなる。

ここら辺は涼しいのも良いとレハトは言って、木の橋を渡る。
硬い靴底が軽い音を立てた。

少し先にこちらへ張り出した細い木の枝があって、それを避けておこうと、早歩きでレハトを越した。

そこで何を思ったのか、俺に負けないといったようにレハトも足を速める。
なんだよ先に行くなんてと、こちらを向きながら駆けるくらいの勢いで進む。
俺が制止の声をかけても足を止めないで、くるりと前を向いた瞬間に、そのまま枝に顔を突っ込んだ。あーあ……。

一瞬の停止のあと、屈みこんで、葉っぱ食べちゃったと呟くので、吐き出しなさいとレハトの背中に言う。
口の中から青々とした葉を取り出しているのを見て、本当に噛み千切っていたのかと驚いたのは秘密にしておこう。

こんなものが道に張り出しているのが悪い、と憤慨してレハトは枝から生える葉をぶちぶちと何枚も千切る。
邪魔になるから俺が退けに走り出したのだけど。
呆れ声で俺が言えば、何も言わずに行こうとするグレオニーも悪い、と返された。
悪役にされてしまった。

不用意に触らないようにと、伸ばしていた手をひっこめさせる。
レハトは不満げな呻きを漏らして抵抗してくる。
しかし、昔ほど鍛えていないレハトの手首は、たぶん女性を選んだということもあって細いので、あっさりと剥がせる。
女性なんだし、手に傷でもできたら駄目じゃないかと付け足せば、驚いた顔をしたあとすぐに不服そうな顔に戻った。

とりあえず、またしばらく伸びてこないようにできるだけ遠い位置で枝を手折る。
それからレハトのほうを向いて、頭の後ろを軽く払う。
う、と肩を一度跳ねさせレハトは目を閉じた。
その間にぱっぱと前髪なんかも払ってしまう。

俺のほうが背が高いのだからよく見える。
引っかかっている木の葉はもう無いようだった。
傷が無いかどうか額や頬も見て、問題がないことを確認しておく。

払い終わるのを待つレハトに、もういいぞと声をかけた。
おそるおそるといったふうに瞼をあげるレハトは、こちらと目が合うと慌てて逸らす。

散歩は再開されたのだけど、そこからレハトは急に無言になって、ぺたぺたと自分の顔を触っている。
心なし赤いようにも思える。俺が気が付かなかっただけで、怪我なり何なりしていたんだろうか。
心配になって覗き込めば、大丈夫だとしか言わない。

明らかに様子がおかしいのに、何も言ってくれないなんて信頼されていないのか。だとしたら少し落ち込む。
そう口にすれば、空いているほうの手をぶんぶんと振ってそれを否定する。

全くもってそんなことはないとレハトは強く言うものの、だったらちゃんと目を合わせて話して欲しいものだし、できればもう一度怪我の確認をさせて欲しい。
それが嫌だというのなら何かしら問題があるわけだから、医務室に直行だ。

レハトは、医務室は勘弁と呟き、一呼吸後、面を上げる。
はい、どうぞ。とのことで、触って確認してみる。やっぱり顔は赤くて、少し熱い。
痒かったり?なんて聞いてみても、本当に何でも無いと主張された。
今のところ腫れている様子もない。

一応は大丈夫そうなので手を離す。
平気だっただろう、とこちらを見上げるレハトに、そのようだと頷きを返す。

主人の主張はちゃんと聞いてくれ、僕は自分のことを正しく把握しているのだよ、と医務室行きを免れてほっとしたのか急に饒舌になる。
しかし、部屋に帰ったら侍従さんにはしっかり報告するし、なんならその後、医務室へと向かわせる可能性もある。

レハトは顔を歪めて、それだけは嫌だ言っているのにと、ぼそぼそ呟く。
心の底から嫌な感情を滲み出させているのを見て、子供じみた仕草が相変わらずだと思う。レハトらしいところであって、可愛らしい。
何を笑うかと、睨みを利かせられていない主人の眼光が向けられる。

可愛かったからと述べれば、呆気にとられたように口を開け、次にはくるりと背中を向けた。
そして、つかつかと早足で歩き出す。

早々に距離をとってゆく後ろ姿に、決して悪い意味ではないと声をかけて、追いかける。
レハトは知ってると前を向いたまま返事をして、俺が隣に付けばこちらを一瞥して、また前向きになる。
どうやらご機嫌はぐんにゃり曲がってしまったようだ。
隣を嫌がらないということは、たぶん、そんなに怒ったりはして無いだろうけど。

俺はそのままレハトの機嫌が直るまで、黙ってこの散策の護衛に付いて歩くことにした。