休息補給
「はい、衛士長ですか。いらっしゃいますよ、奥のほうです。たぶん、今は仕事の割り振りに頭を抱えてるところです。」

まだ若手の衛士に宿舎奥へと案内される。
衛士長とはそういう細かい仕事もするのかと意外に思った。

扉をノックすると、呻くような声で入室を許可された。かなりきつい仕事のようだ。
室内は資料の山で、机に突っ伏す形で、紙束を持ったグレオニーが埋まっていた。
どうやらそこらに積んであるのは、衛士の名簿らしい。

「え、レハト?!」

室内を物色していると、顔を上げたグレオニーに大声を上げられた。

「び、びっくりした。ここ来るのなんて、当番表作り終えた班長だけだから。」

彼の手元を覗くと、警備の担当表が置いてあった。
先程の衛士が仕事割り振りと言っていたが、衛士長はそんなことも業務の一環なのか。

「いや、一応各持場で割り振ってくれてて、俺はその確認なんだけど。ちらっと確認して、はい終わりってわけにはいかないだろ?俺から見ても大丈夫だって言うふうにしとかないと。」

なんて律儀なんだ。彼はそういう頭の固いところがある。
主の仕事であろう署名の道具は、机の足元に転がしてあった。
こういうところは雑だ。

「でも、やっぱ何百人って見てると大変で。まあ、みんなしっかりやってくれてるから、これは駄目ってなるのなんてそうそう無いんだけどな。」

ふう、とグレオニーは息をつく。

正直、衛士長の仕事の中身についてあまり詳しいことは知らないし、今だって気まぐれに覗きに来ただけである。
慣れもしていないのだろうし、とにかく大変そうだ。
まだまだ作業の道程は長そうであまり邪魔はできない。

しかし暇だからこちらに赴いた僕には、退出の考えは特にない。
おとなしく部屋の隅にでも座って、ひっそり見守ってあげよう。

「うーん……そっか。ありがとうな、レハト。」

いまいち不服そうな返答をされる。もしかして、居ること自体が邪魔なのか。
確かにこの部屋は、本当に資料置場としての機能しか持ち合わせていないらしく、かなり窮屈だ。
ここに一人増えようものなら確実に場所がとられる。
ほとんど座り仕事だから、それほど影響はないかもしれないが。それでも圧迫感は増すだろう。

「ああ、いや。レハトは邪魔じゃない。そうじゃなくて、正直なところ結構疲れちゃってて、レハトが来てくれたんなら、ちょっと休憩にしちゃおうかなって。」

今度は長い溜息を吐いて、伸びをする。

なんだ、邪魔ではないのなら、問題はない。
休憩と来れば尚のことだ。
グレオニーが休みたいのであれば休もう。こちらもそのほうが良い。

僕は伸びたその手を取って、どこか気分転換に外へと行くことを提案する。

「あ、外はちょっと。」

何の不都合があるのだろうか。

「怒られるかも。さっさと書類確認して、指示しろって。」

誰に。

「同僚とか。」

怒られていいのか、衛士長。

紙の埃っぽい空気を吸い続けても良くないとは思う。
こんな窓もないところにいては気も滅入ってしまうだろう。

「滅入ってたけど、今レハトがいるから。もう、だいぶ楽。」

薄らと笑う表情は、言葉に反して疲労を強く感じる。
とはいえ、ここで休息しようだなんて、先程の彼のように机に伏して寝ることくらいか。
硬い材質の机も椅子も、全く癒してくれそうにはないが。

「あ、じゃあレハト、ちょっとこっち来てくれないか。」

悩んでいれば、椅子の背に手をかけ立ち上がった彼に呼ばれる。
勿論行こう。この環境ではやはり、気まぐれといえど現れた僕が彼の癒しになってやろうとも。
机を回って寄ると、すとんと抱き寄せられる。

一瞬驚いたけれど、そうかそうか癒しになるか。
グレオニーの胸の高さに自分は収まり、背を彼の腕が回る。暖かいなあと思う。
背中を丸めた彼の顔がこちらの顔の横に並ぶ。肩に彼の顎が乗る。

「……うん。やっぱ、こうするのが、一番疲れ取れるよなぁ。」

耳元で、しみじみといった様子のグレオニーの声がする。
彼はいつも頑張っている、他の誰でもない僕のために。腕を伸ばして、よしよしと頭を撫でておく。

「はは、甘やかされてるなあ俺。」

甘えて良いのだ、僕くらいには。
グレオニーの頑張りをそうやって迎えてあげられるのは、僕だけなのだから。

「いや、本当は、まだまだ甘えてなんかいられないから。……まだ、ちゃんと安定したってわけじゃないんだ。レハトの隣に居られるには、俺は足りてない。」

ゆるゆると僕から腕を離して、こちらを見据える。
そうやって気負うから、疲れてしまうのに。そんな彼の気質だから、ここまで辿りつけたのだれど。

「ありがとう、レハト。元気出た。さっさと終わらせなくちゃいけないから。」

そう言ってあっさり椅子に戻る。
彼はどうだか知らないが、僕は大変名残惜しい。背中が冷たく感じてしまう。
もう少しだけあると良い。
僕はじっとグレオニーの顔を見つめてみせる。

「……あ、いや、うーんと。」

悪くない反応なのだが、先程自分で言った手前、諸手を広げてというわけにはいかないらしい。
衛士長の矜持のためにも、寵愛者の我が儘ということにすべきだろう。

グレオニーの膝上に乗り、彼を抱きしめる。
座っていたので、椅子ごとというわけにもいかず、首の後ろへ手を伸ばし肩口に凭れる。

「あー、ええと、じゃあ、我が儘に付き合わせて下さい……。」

降ってくる声と共に、再びグレオニーの体温に包まれた。
やっぱり暖かい。彼の温度は心地良い。

視線を上げれば目が合う。
そのまま彼の顔が近づいて、一瞬唇に触れて戻る。

…………予想外だ。

いや別に、構わないのだけれど、けれど。甘えないとか、言ってなかっただろうか。
甘えには入らないとか、そういうことなのか。
彼の線引きはどの辺りにあるんだ。

何度も瞬きをしてグレオニーを見返せば、彼はふにゃりと緩み切った顔をする。

「レハト、もう一回だけ。」

そう言い終われば、僕が何か返す前に、もう一度短く重なる。
短いものの、すぐに離れたものの、僕は開いた口が塞がらない。
いいのか、これは。だって、さっき、まだ頑張りが足りてないとか言っていたように思う。

「我が儘の時間が終わったら、言ってくれ。それまでは、こうしてて良い、よな?」

身体が触れる面積を多く、少しだけきつくグレオニー側に寄せられる。
僕の我が儘は抱きしめるところまでだったのだが。終わっているといえば、終わっているのだが。
こうして、抱きしめられているぶんには、良いのだけれど。

そのあと僕は腑に落ちないまま、そのままの体勢で居て、しばらく後の扉の叩かれる音に驚いて跳ねた。