伸ばす手取る手
柔らかい手が、衛士の頭を撫でた。
机に向かい作法の教本を広げていた彼は、手のひらの主を振り仰ぐ。
分化したばかりといった、まだ幼さの残る女性の額には淡く光る模様が浮かぶ。
女性は彼の主人であり、また彼と想いの通う人である。

「グレオニーは本当に礼法をよく学んでるね。」

慈しむように撫でながら、女性は目を細めそう告げる。
衛士は彼女に向き合うように立ち上がろうとするが、座ったままでという彼女の指示で居住まいを正すに留まる。

「レハト様、どうかなさいましたか?」

頭の上の体温に、少しばり鼓動をはやめて衛士は尋ねる。
応援に来たと、女性は衛士の右隣から教本を覗き込む。

彼女は開いてあるページを見ながら、ここは難しかったと零す。
つい一年ほど前は女性もこの本の中身なぞ、まともに理解できてはいなかったが、寵愛者たる彼女はもうすっかり自分のものにしていた。
だからこそ衛士は、早く追いつかなくてはならないと、焦る心持ちもしていた。

「頑張ってるとき、誉めて貰うと嬉しいでしょう?」

はい、と衛士は相槌を打つ。

「好きな人に誉めて貰うと元気が出るんだ。子どもの頃、私がそうだったもの。」

グレオニーが誉めてくれたね、と女性は言う。
それから彼女は思い出すように目を閉じた。
衛士は女性のつくる表情に見惚れており、過去から帰ってきたまぶたが開いて瞳がかち合うと、慌てて何度かまばたきをした。

「そのときのお返し。」

そう言って、彼女は相好を崩す。
一定のリズムを保ったまま撫でていた手はやんわりと動きを止め、そのまま衛士のこめかみを細い指が滑る。
ぴたりと顎に添えられた。
たまらず衛士は息を飲み、背筋も強張ったようだった。

「私のためにありがとう。」

言い終わるか終わらないかのうちに女性は衛士の頬に口をつけ、次の瞬間には唇も手も離れる。
衛士は見る間にその顔を赤くのぼせさせる。
それを隠すように手をやり、少し俯く。喉の奥で詰まったような声がした。
膝上にはきつく握りしめられた拳が置かれている。

あんまり初々しい反応だったので彼女も少し照れた。
何か言葉を発するのも気恥ずかしくて、無言を紛らわすように、女性は衛士の拳の上にそっと自分の手を重ねた。

彼は一度喉の奥を鳴らしたあと、自分を落ち着かせるような深呼吸をひとつする。
そして思いきったように女性の手を取り、彼女の手より一回りほど大きな手で包み込んだ。

「俺、絶対貴方の隣に居ます。居させてください。貴方のためなら、なんだってやり遂げてみせます。」

そうして熱く射抜くような視線を女性に向ける。
先ほどの衛士とは打って変わった真っ直ぐな態度に、今度は彼女のほうが赤くなって、それでも彼の想いを幸せに感じて微笑む。
彼女は頷き「はい」と答えた。